イエスは、何時生まれたのか

 
 (イエスの誕生が紀元前七年十二月二十五日であると断定することが出来ないのは)「イエスの伝記」であるとされている四つの「福音書」のうち、『マタイ福音書』では、イエスの生誕物語の後、彼がおよそ三十歳の時、ヨルダン河の岸辺でバプテスマ(洗礼者)のヨハネから洗礼を受けるまでの間の経歴が全く欠けており、また、『ルカ福音書』には、生誕物語の次に、幼児イエスエルサレムで老人シメオンと女預言者アンナから祝福を受けたこと、および十二歳のイエスエルサレムの宮の内で教師たちを驚嘆させたことが書かれてはありますが、ここでもまた、それ以後、彼がおよそ三十歳の時、ヨルダン河の岸辺でヨハネから洗礼を受けるまでの間の経歴が全く欠けているからであります。そして、最も古い福音書だとされている『マルコ福音書』と、最も新しい福音書だとされている『ヨハネ福音書』とは、イエスが何時、何処で生まれたのかを完全に無視してしまって、彼、イエスがおよそ三十歳の時、ヨルダン河の岸辺でヨハネの洗礼を受けた場面から、イエスの伝記を始めているのであります。
 かくて、イエス・キリストが何時生まれたのかは、彼のその「三十年間」の空白の故に、永遠の「謎」であるという他ないのであります。
 しかも、不可解なことには、イエスのことをよく知っていたはずの当時のユダヤ人たちが、イエスに向かって、「あなたは、まだ五十歳のにもなっていないのに」(ヨハネ―57)と言っているのですから、この「謎」の空白期間は、或は「三十年間」ではなくて「四十年間」であったのかも知れないのであります。
 まして、「十二月二十五日」、かのクリスマスの日が「イエスの誕生日」であるはずはありません。その頃のベツヘレム地方は、冬で、羊飼いたちが野原で羊の番をしているはずもなく、その寒夜に仮に馬小舎の「かいばおけ」の中に産み落とされたとしたら、かの「みどり児」は凍死してしまったにちがいありません。しかし、毎年、その日に世界中に迷信の「賛美歌」が満ちあふれ、この寒夜が「聖夜」とたたえられているのであります。そして、わたくしは、この空々しい賛美歌を寒々とした気分で聞きながら、このイエス・キリストなる人物が果して実在したのかどうかを深く疑っている一人なのであります。〔一人の人物が四つの異った「履歴書」を持っているとしたら、あなたは、その人物を信頼することが出来るでしょうか。〕
(「堀堅士著『仏教とキリスト教第三文明社刊」より抜粋)