2010-01-01から1ヶ月間の記事一覧

マリヤは、何故処女であったのか

イエスが、その多くの弟妹たちと共にマリヤの腹から生れたことは明らかであり、したがって、イエスが(たとえ「ヨセフの子」ではないにしても)「マリヤの子」であることは確実なのに、「地上の女」マリヤは何故、「イエスの母」であってはならなかったので…

イエスは、何時生まれたのか

(イエスの誕生が紀元前七年十二月二十五日であると断定することが出来ないのは)「イエスの伝記」であるとされている四つの「福音書」のうち、『マタイ福音書』では、イエスの生誕物語の後、彼がおよそ三十歳の時、ヨルダン河の岸辺でバプテスマ(洗礼者)…

仏教とキリスト教

以前、創価王道で紹介されていた本。現在絶版のため、古本屋のサイトで探してようやく手に入れました。 仏教とキリスト教―イエスは釈迦である (レグルス文庫 (29))

大乗非仏説論への考え方

池田 釈迦牟尼の教えのうち、日常的な生活やこの人生を空しいものとし、この日常的人生から離れてしまうところに苦悩のない涅槃(ねはん)の境地が得られると説く教えと、菩薩として現実社会の中に飛び込み、人々の救済のために命を投げ出して取り組んでいく…

SGI記念提言 <提言>第35回SGIの日「新たなる価値創造の時代へ」

合理性と非合理性

ウィルソン (前略)科学的論証および実験は、思考形態として、宗教と鋭い対照をなしています。科学的知識は常に懐疑や批判に晒(さら)されてますが、宗教においては、知識は信仰と帰依に依存しています。科学は仮説を提示し、その仮説は、有効と認められた…

奇跡物語の意味

池田 宗教の教えの中には、随分と現実的知識からかけ離れた記述が多く、しばしば私たちを戸惑いに追い込みます。たとえば、釈尊の説いたとされる法華経の中にも、地球の半分ほどの大きさの宝の塔が、地中から出現して空中に浮かんだと説かれたり、大地が六種…

三証

池田 往々にして、宗教の神秘性は、人々に盲信・盲従を強いる口実とされます。これは、宗教が人間性の健全な維持・発展のために不可欠のものであるにもかかわらず、宗教への不信・敵意を引き起こし、特に現代社会において人々の宗教喪失を招いた原因の一つに…

信仰の飛躍

ウィルソン 高度に発達した宗教は、すべて合理的な論述の体系を備えています。ちなみに、ここでいう高度に発達した宗教とは、その聖職者たちが、学究的な性向を身につけ、教義の解明と体系化への知的な構造を発達させ、自己批判の受容力を形成している宗教を…

創価王道

リンクありがとうございます。 創価王道

星落秋風五丈原

昨日、会合で歌いました。星落秋風五丈原 - ネット教学部

哲学の本質はいかに言い表されるか

今日私たちは哲学に関しておそらくつぎのような型において言い表すことができるでしょう。 現実を根源においてみること。 私が思惟しながら私自身と交わるという仕方によって、すなわち内的行為において現実とらえること。 包括者の広い世界に対して自分の心…

ここ2日の出来事

■1月14日 ある幹部と激論。その人云く、「組織の勝利が個人の勝利につながる」と。私は思う。「組織といっても個人の集合体に過ぎず、組織を構成する一人一人が幸福になり勝利しなければ、組織の勝利というものは存在しないのでは」と。最終的に論破できなか…

「父なる神」と「父なる良医」

池田 ユダヤ・キリスト教が「人格神」を根本とすること、仏教が「法」を根本とすることについて、それぞれの聖典から挙げて、その意味をはっきりさせておきたいと思います。 ユダヤ・キリス教では、人類の祖先であるアダムとイブは、神によって創られたとし…

宗教的精神の喪失

池田 目に見えないものを想定し、それに対して畏敬の念を抱くことは、それ自体、高度な、精神機能の表れであり、そこに、宗教の一つの出発点があった、といえると思います。 しかも、そうした目に見えない世界への畏敬から、現実の人生を振り返り、自己の本…

社会と宗教(上)

社会と宗教 (上) (聖教文庫 (187))

「哲学不在の時代」を超えて(抜粋)

二十一世紀といっても、「平和」が大前提です。平和なしには、一切が不毛です。ゆえに二十一世紀の宗教は、平和を生み出す宗教でなければならない。 いずこであれ、「一人の人間」の蘇生から出発することが必要となる。それが「人間革命を通しての社会革命・…

哲学入門

ヤスパース関連書籍

法華経の智慧(1)

其の故は〜猶怨嫉多し

其の故は在世は能化の主は仏なり弟子又大菩薩・阿羅漢なり、人天・四衆・八部・人非人等なりといへども調機調養して法華経を聞かしめ給ふ猶怨嫉多し 《通解》 その理由は、仏がこの世に存在している時は、衆生を教え導く主は仏である。その教えを受ける弟子…

夫れ以んみれば〜見えて候なり

夫(そ)れ以(おも)んみれば末法流布の時・生を此の土(ど)に受け此の経を信ぜん人は如来の在世より猶多怨嫉(ゆたおんしつ)の難甚(はなはだ)しかるべしと見えて候なり 《通解》 そもそも考えてみれば、末法という法華経流布の時に、人生を娑婆世界に…

如説修行抄

文永11年(1273年)5月、日蓮大聖人が佐渡流罪中に一谷(いちのさわ)において御述作され、門下一同に与えられた御抄。真蹟は現存せず、日尊写本(永仁5年5月書写)が茨城県久成寺に現存。

新しき人間主義の哲理

今年、研鑽しようと思っている書籍の中に、『法華経の智慧』があります。 この『法華経の智慧』は、池田先生の著作の中でも、特別な意味を持っていると私は考えます。 その理由は、随筆・新人間革命1「日に日に新たに」の記述と、『法華経の智慧』の連載期間…

池田先生の御誕生日を祝す

今日1月2日は、池田先生の82歳の御誕生日です。 昭和3年(1928年)1月2日、池田先生がお生まれになりました。 この昭和3年には、様々なことが起きました。以下列記してみます。 6月 牧口初代会長、入信。 8月 戸田第2代会長、入信。 8月28日 阿部伸夫が得度…

はじめに

2010年、明けましておめでとうございます! 本年は、創価学会創立80周年、池田先生会長御就任50周年という佳節を迎えます。 この2つの佳節に、私は2つのキーワードがあると思います。 一つは、これまで池田先生が様々な機会を通して、言われてきた「開く」…