宗教的精神の喪失

池田 目に見えないものを想定し、それに対して畏敬の念を抱くことは、それ自体、高度な、精神機能の表れであり、そこに、宗教の一つの出発点があった、といえると思います。
 しかも、そうした目に見えない世界への畏敬から、現実の人生を振り返り、自己の本能的欲望を抑え、自分の生き方を正しく導こうとするまでになれば、これは、立派な宗教的精神といえるのではないでしょうか。
 現代の私たちが憂えなければならないことは、形式や儀礼としての宗教に対する関心の希薄化や低下などではなく、本能的欲望や衝動に対する導き手としての、宗教的精神の喪失です。
(「社会と宗教」より抜粋)