社会と宗教

大乗非仏説論への考え方

池田 釈迦牟尼の教えのうち、日常的な生活やこの人生を空しいものとし、この日常的人生から離れてしまうところに苦悩のない涅槃(ねはん)の境地が得られると説く教えと、菩薩として現実社会の中に飛び込み、人々の救済のために命を投げ出して取り組んでいく…

合理性と非合理性

ウィルソン (前略)科学的論証および実験は、思考形態として、宗教と鋭い対照をなしています。科学的知識は常に懐疑や批判に晒(さら)されてますが、宗教においては、知識は信仰と帰依に依存しています。科学は仮説を提示し、その仮説は、有効と認められた…

奇跡物語の意味

池田 宗教の教えの中には、随分と現実的知識からかけ離れた記述が多く、しばしば私たちを戸惑いに追い込みます。たとえば、釈尊の説いたとされる法華経の中にも、地球の半分ほどの大きさの宝の塔が、地中から出現して空中に浮かんだと説かれたり、大地が六種…

三証

池田 往々にして、宗教の神秘性は、人々に盲信・盲従を強いる口実とされます。これは、宗教が人間性の健全な維持・発展のために不可欠のものであるにもかかわらず、宗教への不信・敵意を引き起こし、特に現代社会において人々の宗教喪失を招いた原因の一つに…

信仰の飛躍

ウィルソン 高度に発達した宗教は、すべて合理的な論述の体系を備えています。ちなみに、ここでいう高度に発達した宗教とは、その聖職者たちが、学究的な性向を身につけ、教義の解明と体系化への知的な構造を発達させ、自己批判の受容力を形成している宗教を…

「父なる神」と「父なる良医」

池田 ユダヤ・キリスト教が「人格神」を根本とすること、仏教が「法」を根本とすることについて、それぞれの聖典から挙げて、その意味をはっきりさせておきたいと思います。 ユダヤ・キリス教では、人類の祖先であるアダムとイブは、神によって創られたとし…

宗教的精神の喪失

池田 目に見えないものを想定し、それに対して畏敬の念を抱くことは、それ自体、高度な、精神機能の表れであり、そこに、宗教の一つの出発点があった、といえると思います。 しかも、そうした目に見えない世界への畏敬から、現実の人生を振り返り、自己の本…