マリヤは、何故処女であったのか

 イエスが、その多くの弟妹たちと共にマリヤの腹から生れたことは明らかであり、したがって、イエスが(たとえ「ヨセフの子」ではないにしても)「マリヤの子」であることは確実なのに、「地上の女」マリヤは何故、「イエスの母」であってはならなかったのでしょうか。この素朴な疑問に対して、キリスト教会側には難解で中途半端な神学的説明が用意されているだけであります。そして、「マリヤは何故、処女であったのか」「地上の女マリヤは何故、イエスの母であってはならなかったのか」というこの素朴の疑問をみごとに解き明かしてくれるものは、実は、『仏陀の伝説』(「仏伝」)なのであるという驚くべき事実がここにあります。
(中略)
 (釈迦の母)「摩耶」(Māyā)について、例えば『仏本行集経』(第六巻)には、「未だかつて産生せず」と書かれてあり、『方広大荘厳経』(第一巻)にも、「未だかつて孕育(よういく)せず」と書かれてありますから、彼女もまた、釈迦を産むまでは、「処女」であったわけであります。
 イエスが長男であったように、釈迦もまた長男でありました。そして、姉のいない場合には、長男は何時でも処女から生れるものなのであります。
(「堀堅士著『仏教とキリスト教第三文明社刊」より抜粋)