扶桑沙門日蓮之を述ぶ

 まず、始めに「扶桑(ふそう)沙門(しゃもん)日蓮之を述ぶ」とあります。

■扶桑=古代、中国で日の出る東海の中にあるとされた神木。また、それのある土地。転じて、日本の異称。(『大辞泉/小学館』より)
■沙門=出家者の総称。サンスクリット語のシュラマナに相当する音訳語で、勤息(ごんそく)、浄志(じょうし)などと漢訳する。剃髪(ていはつ)して善に努め、悪をなさず、身心を制御して悟りを得るために努力する人をいう。彼らは古代インドにおいて、正統的伝統的な思想家であるバラモンに対して、古来の階級制度やベーダ聖典の権威を否認した革新的な思想家であり、民衆のことばである俗語を使って教説した。仏教の比丘(びく)たちも沙門の一部。(『日本大百科全書/小学館』より)

 あえて、「扶桑沙門」とご自身のことを言われたのは何故か。今後、思索の対象としていきたいと思います。御書の中では、「本朝沙門」という記述が多いようです。本朝とは、「わが国の朝廷。転じて、わが国」(『大辞泉/小学館』より)ですので、「扶桑」も「本朝」も同じ意味かと思われます。
 上記にあげた沙門の意義からすれば、伝統的宗教観に対して、革新的な宗教観を示すという宣言なのかも知れません。